遊びに使われる愉快脳

2019年3月14日

「遊ぶ」ということについて考えてみました。

「遊んでばかり。。」
というのは、ひと昔前は怠け者の代名詞でしたが
今は、余裕があって、クリエイティブな活動であり、ライフスタイルの一環として位置付けられてもいます。

この「遊び」というものの捉え方でおもしろいと思ったのは
日本の芸能のルーツともいえる「神遊び」という言葉があるように、神をもてなす、また神と共に人間が楽しむ神事や、それにまつわる芸能をさしていると考えられることです。「祭り」も然り「相撲」もですね。

折口信夫によればカミアソビは「魂降り(タマフリ・活力を失った魂を再生する)」儀礼であり天の岩戸で行ったアメノウズメの所作とされています。古代の巫女たちが神と共に笑い楽しむ姿を今に伝えているということです。

ですから、遊ぶということには神様も喜ばれ、我々の魂も元気になり、徹底して楽しむべきものということに落ち着きます。

どうでしょうか、しっかり遊べていますか?

一時しのぎのリフレッシュを求めても、また日ごろの忙しさに戻って、また疲労感が募ってゆくような感じですか?
それとも、集中して時間を忘れ、心身ともに充実感に満たされ癒された感じ?

意にしっかり沿っているかいないか、刹那的ではなく、ちゃんとこれからにもつながっていること、の違いといえるのかもしれません。

金城幸政著「あなたのなかのやんちゃな神様と付き合う法」(サンマーク出版)の中で
愉快脳と不快脳という言葉書かれています。

希望を前提にしている愉快脳不安を前提にしている不快脳
そしてこの二つの脳は使われている部位が違うそうです。

不快脳が働いている時というのは頭で聞いている(思考している)時で、いわゆる言語、記憶といった論理で分析しようとする側頭葉が働き、納得しないと気が済まないのです。

例えば、経済的なこと、仕事、老後、病気などありとあらゆる不安や辛さや嫌なことが前提になれば、強迫観念に基づく条件反射でしか考えられなくなります。

つまり不幸にならないためにいい学校、いい会社を目指すしかないなどの安全策の基準でしか考えられなくなりますね。これではほんとうの幸せとはいえません。

一方、心で聞いている時は前頭葉が働きます。つまり考えたり、自制したり、意思決定をしたり、人とコミュニケーションをとったりなどの高次の機能があり、まさに人間らしくあるための脳です。

目的意識や「~したいな」という、羨望、憧れ、期待、希望など自分の心を動かそうとする材料がそろうと、心に躍動感が出てきて、笑顔、ユーモア、前向きさがあふれてくるのです。

とにかく、愉快脳をもっと使いましょう。
遊ぶということにも一生懸命楽しみ尽くさなくてはもったいないですね。

言葉

Posted by satoko ikuta