高級食パンブーム

2019年3月14日

具だくさんのみそ汁で理想的な一汁一菜生活を目指していますが、パンも大好きです。お弁当を作る日以外朝はパンです。


我々関西の住民として、よく耳にする最近の調査によると、パンおよび食パンの消費量の全国トップはいずれも京都市。大阪市はパンで7位、食パンで10位、堺市は同6位と7位。また、神戸(消費額では1位)や奈良も上位に入っており、関西はパン食派が多いことがわかります。(総務省2008年から3年間の平均した品目別消費調査)

特に食パンの比較では、東は8枚切り、西は5枚切りに人気があるということもよく言われていますね。4枚切りのトーストはバターがたっぷり溶け込んで喫茶店のモーニングメニューとして馴染みがあり、こういう厚切りで食べ応えのある食感が好まれるのもわかります。


高級食パン専門店が誕生し大阪から進出、また東京からも関西への出店とホットな話題になっています。

日本でのパンの歴史

日本人が初めてパンを知ったのは安土桃山時代といわれている。種子島に漂着したポルトガル船により鉄砲伝来と共にパンが伝わるが、キリシタン禁止令によりパンの製造も禁止され出島で細々と伝承されたのみであった。

江戸時代に「オランダ人が蒸餅という餡なしの饅頭(中国式の蒸し物の饅頭・マントウ)をパンと呼んで常食している」と文献にあるが、本来は蒸すものではなく、酵母で発酵させた後焼いたものなので中国の方法の影響を受けていたようだ。
また、小麦粉を甘酒でこね、一晩おいてかまどで焼いたという記述の文献もあるという。

明治初期にイギリスから山形白パンが伝わり主に外国人向けに製造された。神戸では食パンが朝食用に用いられた。
明治9年、木村屋初代の木村安兵衛は、米麹を使ったパンに餡を入れて、初めてあんパンを作った。明治末期には全国で1日に数十万個も売れたという。

それまでの米食一辺倒にうどん、そばに次ぐ粉食の導入という点でも、異文化の主食を日本人に近づけたことでも意義のあることであった。

戦後、サンドイッチ用に8枚切りが販売され、その後日本人の嗜好に合うように調整されていった。
アメリカからの援助物資の小麦粉を使ってパンと脱脂粉乳の学校給食が開始され、これが日本におけるパンの大量流通のきっかけとなりこれにより、1955年以降、日本のパン消費量は急増していった。

こうしてみても私たちは子どものころからパンに慣れ親しんできた世代ですが、父はあまり好んでいませんでしたし、祖母も食べにくそうにしていました。コーヒーメーカーやインスタントコーヒーも一緒に普及していったことも印象に残っています。