万葉集 梅花の歌序と王羲之

2019年6月18日

新元号令和と万葉集について、少し見ていきたいと思います。

日本の典籍だと言われているけれども、所詮、中国の影響を受けているのではないか、という疑問を投げかけられているも見かけましたので、この機会に正しく押さえておくべきと考えます。

出典の部分を記させていただきます。

梅花の歌三十二首併せて序(巻五)

天平二年正月十三日に、帥の老(そちのおきな)の宅にあつまりて、宴会を申(ひら)く。時に、初春の令月にして、氣淑く風(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮(はい・帯の飾り玉)後の香を薫す。(中略)

ここに天を蓋(きぬがさ)とし、地を座(しきい)とし膝を促(ちかづ)け、觴(さかづき)を飛ばす。言(こと)を一室の裏(うち)に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然と自ら放(ほしいまま)にし、快然と自ら足る。若し翰苑(文筆のこと)にあらずは、何を以ちてか情(こころ)を攄(の)べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしえ)と今とそれ何そ異ならむ。宜しく園の梅を賦して聊(いささ)かに短詠を成すべし。

(訳)梅花の歌序

天平二年正月十三日に、長官の大伴旅人宅に集まって宴会を開いた。時あたかも新春のよき月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉の如く白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている。(中略)

ここに天をきぬがさとし、地を座として、人々は膝を近づけて酒杯をくみかわしている。すでに一座はことばをかけ合う必要もなく睦み、大自然に向かって胸襟を開きあっている。淡々とそれぞれが心のおもむくままに振る舞い、快くおのおのがみち足りている。この心中を、筆にするのでなければ、どうしていい現わしえよう。中国でも多く落梅の詩篇がある。古今異なるはずとてなく、よろしく庭の梅をよんで、いささかの歌を作ろうではないか。(万葉集(一) 中西 進 講談社)

王羲之「蘭亭序」

中学の授業以来筆を持つ機会がなっかった私ですが、10年ほど書道のお稽古に通っています。お陰様で王羲之(おうぎし)を知りその書の趣に触れることもできています。

大伴旅人が、この王羲之の開いた蘭亭の集会をまねて梅花の集会を催し、詠まれた歌を集めたということを示した序文です。

文人として書家としての王羲之の名声は、このころすでに日本でも名高く、浸透していたことがわかります。

その蘭亭序の冒頭の部分です。

蘭亭集序 王羲之

永和九年、歳在癸丑、暮春之初、會于會稽山陰之蘭亭。

(訳)永和九年(353)、歳は癸丑に在り。暮春の初め、會稽山陰の蘭亭に會す。

当時の役人にとって書が必須の能力であり、下級役人は生活のために写経所で経典を写す内職をやっていたようです。写経生は羲之をお手本にして一文字一文字写していたことでしょう。

このように敬意をもって受け入れつつ、独自の文化も発展させてきたということがわかります。

和歌や書の世界にも、今もこんなふうに彩りを与え続け、新しい時代 へも受け継がれていくことでしょう。